何もこのサイトで仏教の教えを広めようなどと、おこがましいことをしようとしているわけではない。
しかし、職場でストレスを抱えたり、思春期の若者が思い悩んで苦しんでいる人を見ると「そんなに心配しなくても大丈夫なのに。」と感じてしまう。
私の幼少期は両親がおらず、祖母に育てられた。高校生になってからひょっこり父親が現れ一緒に暮らすことになったのだが、私の人格のベースを築いてくれたのは祖母であった。
祖母は根っからの仏教徒で、毎朝お給仕と読経は欠かさなかった。そんな家庭環境で育ったのだ。
私は祖母に仏教の教えを嫌って言うほど聞かされて育ち、子供の頃はそのありがたさに気づくことはなかった。しかし、大人になってその教えの素晴らしさに気がつくことができたのだ。
そこで「これは覚えておくと心が楽になるよ!」という仏教の教えを少しご紹介しておこうと思う。もしあなたが何かに疲れていて、少しでも気分が晴れるのであれば幸いだ。
実は、釈迦の教えはたった一つだけだった。
仏教の教祖はご存知「お釈迦様」だ。
「お釈迦様は神様なの?」と子供の頃祖母に聞いた覚えがあるが、捉え方によってはそうかもしれないが、そういうわけではなくれっきとした人間だ。本名はゴーダマ・シッダールタというネパール南部にあった小国の王子様として生まれたのだ。
実は「釈迦」とは中国に渡った時の当て字で本来の呼び名は「シャーキャムニ・ブッダ」シャーキャムニとはシャーキャ族の聖者という意味で、ブッダとは悟りを開いた人という意味だ。ブッダ・釈迦・釈尊などと色々な呼び名がある。
本来カースト制度によって、生まれと違う職業に就くことは許されないのだが、釈迦は王家を抜けだし出家することに。そして数年の修行の後、菩提樹の下で悟りを開いたことになっている。
かなり話を端折ったが、大事な部分を早く紹介したいため、細かい背景などは別の機会があったら書くこととする。
で、何を悟ったの?
悟りを開くまでのストーリーは歴史書でも読めばいいが、大事なことはお釈迦様が悟った内容を知ることだ。
ところが、今の仏教は色々な部派に分かれそれぞれ解釈を変えて伝えているため、全体像が非常につかみずらい。それらを全て勉強することができるならそれは素晴らしいことかもしれないが、全て勉強し終わった頃に寿命が残りわずか・・・それでは全く意味がない。
大事な部分を学び、それを日々の生活に生かしてこと意味があると私は思うし、釈迦も悟りを開くまでに多くの時間を割くことは無駄だとも言っている。
では、釈迦は何を悟り伝えたかったのか。実は釈迦が直接的に悟り、人に伝えたことはこの一つの言葉だけだ・・・
「諸行無常(しょぎょうむじょう)」
「全てのことは常ならん。」そういう意味だ。同じことの繰り返しに見える毎日もよくよく観察してみれば様々な変化が起きている。
例えば、全く動いているようには見えない「大きな木」、しかしその大きな木も春になれば花を咲かせ、秋になれば赤く葉を色づかせていく。そして、種を作りその種から新しい芽が出てくる。
そうやって、世の中は刻々と変化が起き続けているのだ。
それはそうかもしれないけど・・・何か生活に役立つことでも?
そう、ここからが本題だ。
この「諸行無常」をどう生活に活かしていくのか。
学校や会社などの社会に出ていくと、他人様と多かれ少なかれ交流することになる。また、相手が実際に相対する「人間」だけとは限らず「社会全体の流れ」の中に自分が置かれることにもなる。
そんな時に「あいつのせいで仕事がうまくいかなかった!」「最近の若者はろくなもんじゃない!」といちいち目くじらを立てていては身がもたないとは思わないだろうか?
そんなちょっとした「イライラ」や「不安」が心の中に現れた時「諸行無常」を思い出せばいい。「だって、変化して当たり前のことなんだから」と。
つまり、あなたはいつでも変化に対応できる心の余裕を常に持っていればいいのだ。起こってしまったことに腹を立てたり、焦ったり、苦しんだり・・・、そんな感情の無駄使いはもったいないのだ。
腹を立てても、悲しんでも、その起きてしまった変化を無かったことにはできないからだ。そんな感情を抱いているなら、その変化に対応する方法を見つけることに注力する方がよっぽど建設的で将来のあなたの力になるはずだ。
もちろん、感情を全て無くせなどと釈迦が言っているわけではない。その感情が沸き起こることさえ「諸行無常」に含まれているのだ。悲しいから涙が出る。これも自然の摂理だからだ。
しかし、人々がいう「悩み」とは大概が「未来に起こるかもしれない心配事」だ。「このままだと、彼女に振られてしまうかもしれない。」「会社の存続が厳しくなりそうだ。」そんな未来の不安をわざわざ「今」思い出し、勝手に悩みにしているに過ぎないのだ。
もし、その悩みがほぼ確実に実現してしまうようなことならば、今すべきことはその対処をするための準備だ。厳しい言い方をすれば「悩んでいる場合じゃないよ!」そういうことだ。
彼女に振られそうなら、それを受け止め次のステージへ行く心の準備をすればいい。人を愛することは大切だが、それに執着して人生を無駄にするのは実にもったいないし、彼女の人生をも無駄にしてしまうかも知れない。
会社の存続が危ういなら、売り上げを伸ばす方法をいますぐ実践するか、銀行に資金繰りの相談に行ったり、従業員の再就職先を探してあげたりとやることは盛りだくさんだ。
ただし、そんな状況になってしまったのも「諸行無常」の教えを知らなかったことが原因だということは心に刻んでおく必要がある。一時、儲かったからといって、かまけていると世の中の流れをつかめなくなる。世は常ならんということを経営者は特に理解しておく必要がある。
空(くう)の考えもためになる!
この他にも仏教には様々な教えがある。釈迦が直接語ったことではないのだが「空(くう)」という考え方はためになる。
例えば、「空(そら)はどこですか?」の質問にあなたは明確に答えられるだろうか?
「空(そら)を指差してみて!」と言うと、ほとんどの人が頭の上に手を伸ばし、天を目掛けて指を指すだろう。
しかし、そこに空(そら)は実在しない。実在するのは空気中に含まれる酸素や二酸化炭素、水蒸気やチリ、そんなところだろう。空(そら)は実在しないけど、人はそれを空(そら)と呼んでいる。
「あるのに無い、無いけどある。」これが空(くう)という概念だ。
日々の悩みも「あるようで無い。無いようである。」そう考えれば楽にならないだろうか。実在するのは悩みではなく「問題」だ。その問題を物理的に処理すればいいだけの話だ。「悩み」という存在しないものにいつまでも足を引っ張られて苦しんでいるなら、そんなものは無いんだと認識すればいいだけのことだ。